
人間の言語能力についての基礎研究ことばの進化・変化についての研究
吉田 江依子YOSHIDA Eiko
研究の概要
専門分野は理論言語学です。具体的には生成文法理論に基づいた言語研究をしています。生成文法理論とは、人間の言語能力を生物基盤的な観点から解明しようとするもので、私たちが持って生まれた、脳に存在する言語能力とはどういったものなのか、という視点から言葉を分析しています。情報工学、自然言語処理に興味を持っている人には「チョムスキーの言語理論」と言った方が分かりやすいかもしれません。
私たちが普段何気なく使っている「ことば」はヒトだけに固有の能力で、ほかの生物 ―例えば98%同じDNAを持つと言われているチンパンジーですら ― これに匹敵するような言語能力を持っていません。よって、ヒトの言語が何であるかを探求することは、究極的には人間とは何かを問うことにつながります。
また、現在チャットボットなど、人工知能に基づく会話システムは当たり前のようになっています。一見したところ人工知能が人間の言語能力を反映させ、自由に会話をしているというふうに思われるかもしれませんが、現在のAIの「ことば」はビッグデータに基づく情報処理の結果に過ぎず、ヒトの言語能力とは全く関係のないものです。「人工知能の研究が人間の知能を反映させることを目的とした研究である」という大前提がある限り、なぜAIは人間の言語能力を反映できないのか、AIが反映できない人間の言語能力とはそもそもどういうものなのかを探求するこの分野は工学者にとっても必要不可欠な研究であると考えます。
現在扱っている主な研究テーマは、ミニマリスト・プログラムに基づく言語システムの解明、ことばの変化・変異に対する分析です。いずれも「人間に内在的に備わる言語能力とは何か」という問題意識が研究の基盤となっています。
ミニマリスト・プログラムに基づく言語システムの解明

自身の研究の基盤となっている生成文法理論は1950年代から始まり、様々な理論的変遷を経て現在の極小主義理論(ミニマリスト・プログラム)に至っています。本研究では、ミニマリスト・プログラムの中心的役割を果たしているヒトの言語能力の一つであるラベリング・アルゴリズムに対して、言語の周辺語句である副詞や形容詞などの修飾語句について共時的・通時的観点から実証的に証明し、言語システムの解明に貢献することを目指しています。
ことばの起源・進化に関する研究
私たち人間をほかの生物と分けている「ことば」が、いつ、どこで、どのように、そしてなぜ創発したのか、というのは、言語学者でなくとも興味深いトピックであると思われます。現在の生成文法理論では、「併合(Merge)」が唯一ヒト言語に固有の狭義の言語機能であるとしています。併合自身は言語事象を説明する際に重要な機能であり、加えてその前駆体についても近年有力な仮説が立てられていることから、その進化的妥当性について疑義を挟む必要はないでしょう。一方で、長年積み上げられてきた生成文法の知見が言語進化を考える上で切り離すことができないということを考えた場合、併合以外の言語理論装置が言語進化を考える上でどのような位置づけとなるかを検証することは必須の作業であり、それなしに併合のみという結論に至るのは理論構築の上で不十分です。これらを踏まえ、研究テーマとして「位相(phase)」について進化の観点からの見直しを掲げ、進化的妥当性を満たす理論の構築を目指しています。
ことばの変化・変異に対する分析
ことばは固定されたものではなく、その出現から絶え間なく変化をしています。古文で学んだ平安時代の日本語と現代の日本語が大きく異なっていることをみれば一目瞭然でしょう。このような変化は日本語だけではなく、英語を含む世界中の言語にみられるものです。千年あるいはたった百年の間でも言葉は大きく変化をしています。言葉はどのように変化してきたのか、そしてなぜ言葉は変化をするのかについてこれまでコーパスを利用して統計的に分析・研究をしてきました。そして言語の変化は過去だけのものではなく、現在進行形で進んでいます。現代の言葉、若者言葉は乱れている、ということを時々耳にしますが、大きな歴史の流れの中でそれは乱れているのではなく変化の一過程に過ぎないと考えます。今後の研究としては、ビッグデータを利用して現代の言葉の変化・変異を統計的に分析し、さらには100年あるいは1000年先の未来の言語の姿についてシミュレーションをしていく方策を模索中です。
プロフィール
2000年3月 名古屋大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学
2001年4月 長野県短期大学文学科講師
2003年7月 博士(文学)取得
2004年4月 長野県短期大学多文化コミュニケーション学科助教授
2005年10月 名古屋工業大学大学院工学研究科助教授
2007年4月 名古屋工業大学大学院工学研究科准教授
2017年4月 名古屋工業大学大学院工学研究科教授(現在に至る)
業績
主要論文
1. "内在格の位置づけと間接受動文の歴史的発達について" JELS 13, 61-70. 日本英語学会. 1996.
2. "On the LF-Movement of Adverbs" English Linguistics 16, 303-328. 日本英語学会. 1999
3. "On the Licensing of VP Adverbs" Studies in English Literature 44, 41-68. 日本英文学会. 2003.
4. "A phase-based analysis of Adverb Licensing" 『言語研究』 137, 1-16. 日本言語学会. 2010
5. "フェイズの意味的・概念的特性と進化的妥当性について" JELS 31, 256-262. 日本英語学会. 2014.
総説・解説
1. "ことばとは何か:人の言葉と人工知能のコトバの違いを考える" New Directions 36. 69-88. 名古屋工業大学共通教育・英語. 2018.
辞書
1. 英語学用語辞典. 三省堂. 1999. (項目執筆)
2. 英語学・言語学用語辞典. 開拓社. 2015 (項目執筆)
招待講演
・2006年11月 "定形節における機能範疇の出現:文副詞の認可を中心に" 日本英語学会 第24回大会シンポジウム
・2011年5月 ”副詞表現をめぐる機能範疇の統語特性と解釈特性” 日本英文学会第83回大会シンポジウム
受賞
・2004年4月 名古屋大学英文学会第17回 IVY Award, 論文題目 “On the Licensing of VP Adverbs”
科学研究費補助金
・1997年4月ー2001年3月 特別研究員奨励費 研究課題名「受動文、中間構文、能格構文の分析:受動形態素とゼロ形態素の果たす役割について」
・2006年4月ー2009年3月 基盤研究(C) 研究課題名「副詞からみたミニマリスト・プログラムの理論装置:言語理論の構築に向けて」
・2015年4月ー2019年3月 基盤研究(C) 研究課題名「情報構造に基づくフェイズの共時的・通時的研究」
・2022年4月― 2025年3月(予定)基盤研究(C) 研究課題名「社会方言に基づく短期言語変遷モデルの構築:ツイッターを言語資源とした学際的研究」
(その他業績については研究者データベース)